先日、日本人の友人と食事に行った時の話。知り合って日が浅いということもあって、お互い過去の経歴の話になり、歯学部入学前は何やってたのかという流れで、いつものように自然とDr Baekは慶應出身なんだって話になった。
慶應では「先生」は、福沢諭吉にのみ使う呼称で、教授含め正式には「君」を用いる慣例があり、大学の掲示板にも、「○○」君 休講」って感じで休講のお知らせが貼ってあったりする。
するとその友人が思いがけず、福沢諭吉という人物についてアツく語り始めた。彼は留学前、母校の創立100周年記念行事の一環として、大学の歴史を調べる機会があり。その時福沢諭吉が日本の国家建設に留まらず、歯科医学の立ち上げにも深く関わったことを知ったそうだ。
福沢諭吉の「学問のススメ」は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というあのあまりにも有名な一文で始まる。この言葉の意味は一般的に、人間は皆生まれもって平等で、、というように断片的な捉え方しかされていないが、本質的な意味はそうではないらしい。どういう意味かというと、「賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人と色々あるがその違い、賢人と愚人との区別は、学ぶと学ばざるとに由ってできるもののである。
人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど、ただ「学問」を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となる。」つまり、学問の有無が人生に与える影響を説いており、したがって『学問のススメ』なのである。ということらしい。
中津藩の藩士に過ぎなかった身分の福沢諭吉が、緒方洪庵の開いた適塾で学んだこと、アメリカやヨーロッパの視察旅行から得た知見や体験をもとに、「西洋事情」などの書物を書き残し、日本初の英語の辞書を発行したこと、「解体新書」を記し杉田玄白の自伝である「蘭学事始」の出版に関わったこと、エレキテルを発明した蘭学者の平賀源内との交流など、明治維新の黎明期に慶應義塾を設立し、優秀な人材を国家や企業に輩出し続けた福沢諭吉は、まさに「文明開化の立役者」。こんな具合に、彼の多大なる業績や貢献について彼は熱っぽく語ってくれた。
今日改めて、福沢諭吉の経歴、人生、思想を調べてみたけれど、この人物がいなければ間違いなく日本は違った国になっていただろうし、今日の繁栄はなかったのではなかろうか。慶應に入学してから20年。自分としては、学歴なんていうものは、18、9の時の一時の努力の結果に過ぎないのであって、今の自分の評価とは全く別物と考えていたし、歯学部卒業してからのほうが努力してるという自負もあった。
しかし、福沢諭吉の功績や人生を振り返ってみて、こんな偉大な人物が創立した大学で学べたことを少し誇らしかったし、これからもその名に恥じない生き方をしていかないといけないと思えた。あの時代ですらこれだけの事を成し遂げることが出来たのだから、今の時代に出来ないことなんて何もないし、それ以上に自分の得たモノを何等かの形で社会に還元していかないといけないのかもしれない。日本でもアメリカでもこれだけ色々な経験をさせてもらっている人間はあまりいないだろうからだ。
日本にいる時はそんなこと考えもしなかったが、世界中から集まった集団の中に一人でいると、そんな思いついたような正義感も、自分の中ではそれなりに真面目に捉えているから不思議なものだ。特に自分は日本で開業を経てきたこともあって、日本の歯科医療のいいところも悪いところも、足りないところも嫌という程経験したからこそ見えてくるものがあるのだろうし、そういう危機感というか義務感とすら感じる気持ちが芽生えているのかもしれない。